
はじめに
前回は、フィジカルAI業界のサプライチェーンを「川上・川中・川下」の視点で解説しました。今回は、バリューチェーン(価値連鎖)の観点から業界構造を分析します。
サプライチェーンが「モノの流れ」を表すのに対し、バリューチェーンは「価値がどこで生まれ、誰が利益を得るか」を表します。
フィジカルAI業界のバリューチェーンは、Brain(頭脳)・Body(身体)・Integrators(統合)の3層で構成されています。各レイヤーの役割と利益構造を理解することで、業界の本質が見えてきます。
バリューチェーン全体像
フィジカルAIのバリューチェーンは、3つのレイヤーで構成されています。

| レイヤー | 役割 | 主要プレイヤー |
|---|---|---|
| Brain(頭脳) | AIソフトウェア、基盤モデル、シミュレーション | NVIDIA、Google、OpenAI |
| Body(身体) | センサー、アクチュエーター、プロセッサ | Intel、ハーモニックドライブ、Velodyne |
| Integrators(統合) | ロボットメーカー、SI、エンドユーザー | Tesla、ファナック、Amazon |
価値創造の流れは、Brain → Body → Integrators と進みます。上流のBrainレイヤーで生まれた知能が、Bodyを通じて物理的な動作に変換され、Integratorsが最終的な価値としてエンドユーザーに届けます。
それぞれのレイヤーを詳しく見ていきましょう。
Brain(頭脳)レイヤー
Brainレイヤーは、ロボットの知能を担うソフトウェア層です。

構成要素
Brainレイヤーは、3つの要素で構成されています。
1. 基盤モデル
ロボット専用の大規模AIモデルです。
| モデル | 提供元 | 特徴 |
|---|---|---|
| GR00T | NVIDIA | ヒューマノイド向け汎用基盤モデル |
| RT-2 | Google DeepMind | Vision-Language-Actionモデル |
| GPT-4V | OpenAI | マルチモーダル推論、Figure AIと連携 |
これらのモデルは、人間の指示を理解し、環境を認識し、適切な行動を計画する能力を持ちます。
ポイント
従来のロボットは、タスクごとに個別にプログラミングが必要でした。基盤モデルを使えば、自然言語で「箱を棚に置いて」と指示するだけで、ロボットが自律的に行動を計画・実行できます。これはロボットプログラミングのパラダイムシフトです。
2. AIソフトウェア
認識・判断・制御を行うソフトウェアスタックです。
| ソフトウェア | 提供元 | 役割 |
|---|---|---|
| NVIDIA Isaac | NVIDIA | ロボット開発プラットフォーム |
| ROS 2 | Open Robotics | ロボット開発フレームワーク |
| 強化学習フレームワーク | 各社 | 試行錯誤による学習 |
NVIDIA Isaacは、知覚、計画、制御のすべてを統合したプラットフォームです。開発者は、このプラットフォーム上でロボットアプリケーションを効率的に開発できます。
3. シミュレーション
仮想環境でロボットを学習・検証するためのツールです。
| ツール | 提供元 | 特徴 |
|---|---|---|
| Omniverse | NVIDIA | フォトリアルなデジタルツイン |
| MuJoCo | Google DeepMind | 高速物理シミュレーション |
| Gazebo | Open Robotics | ROS連携、オープンソース |
Sim-to-Real(仮想から現実へ)
Brainレイヤーの重要なコンセプトがSim-to-Realです。
- シミュレーション環境で学習:数百万回のトライアルを仮想空間で実施
- 学習済みモデルを実機に転移:シミュレーションで得た知識を実機に適用
- 実環境でファインチューニング:実世界の微妙な違いに適応
実機での学習は時間とコストがかかり、破損リスクもあります。シミュレーションで事前学習することで、効率的かつ安全にロボットを訓練できます。
Body(身体)レイヤー
Bodyレイヤーは、ロボットの物理的な構成要素を担います。

構成要素
Bodyレイヤーは、4つのカテゴリで構成されています。
1. センサー(認識)
ロボットの「目」と「耳」です。
| 種類 | 役割 | 主要企業 |
|---|---|---|
| カメラ・ビジョン | 画像認識、物体検出 | Intel RealSense、Basler |
| LiDAR | 3D空間認識、距離計測 | Velodyne、Ouster |
| 力覚センサー | 接触検知、力制御 | ATI、OnRobot |
| IMU | 姿勢検知、動き検出 | Bosch、InvenSense |
複数のセンサーを組み合わせるセンサーフュージョンにより、より正確な環境認識が可能になります。
2. アクチュエーター(駆動)
ロボットの「筋肉」です。
| 種類 | 役割 | 主要企業 |
|---|---|---|
| サーボモーター | 関節駆動 | 安川電機、ファナック |
| 減速機 | トルク増幅、精密制御 | ハーモニックドライブ、ナブテスコ |
| リニアアクチュエーター | 直線運動 | THK、NSK |
| グリッパー | 把持 | Schunk、Robotiq |
精密減速機は、ロボットの関節に不可欠な部品です。日本勢(ハーモニックドライブ60%、ナブテスコ25%)が世界シェア85%を占めています。
3. コンピューティング
ロボット上で動作する演算装置です。
| 種類 | 役割 | 主要企業 |
|---|---|---|
| エッジAIチップ | リアルタイムAI推論 | NVIDIA Jetson |
| GPU | 並列演算処理 | NVIDIA、AMD |
| FPGA | カスタム処理 | Xilinx、Intel |
| マイコン | 低レベル制御 | STMicroelectronics |
4. 構造・筐体
ロボットの骨格と外装です。
- フレーム:軽量かつ高剛性(アルミ、カーボンファイバー)
- 外装:デザイン、安全性
- 配線:電力・信号の伝送
- 冷却システム:発熱対策
Integrators(統合)レイヤー
Integratorsレイヤーは、最終的な価値をユーザーに届ける段階です。

構成要素
Integratorsレイヤーは、3つのステージで構成されています。
1. ロボットメーカー
BrainとBodyを統合して完成品を製造する企業です。
| タイプ | 企業例 | 特徴 |
|---|---|---|
| 垂直統合型 | Tesla(Optimus) | 設計から製造まで内製 |
| 専業メーカー | Boston Dynamics、Figure AI | ロボット専業 |
| 産業用大手 | ファナック、ABB、安川電機 | 実績と信頼性 |
2. システムインテグレーター(SI)
ロボットを顧客環境に最適化して導入する企業です。
- 専門SIer:ロボットシステム構築の専門企業
- コンサルティング:導入計画の策定
- 導入支援:設置、調整、教育
産業用ロボットの導入には、SIerの存在が不可欠です。ロボット本体の価格よりも、導入・インテグレーションコストの方が高いケースも多くあります。
3. エンドユーザー
ロボットを実際に運用する企業・組織です。
| 業界 | 用途例 |
|---|---|
| 製造業 | 組立、溶接、検査 |
| 物流企業 | ピッキング、搬送、仕分け |
| 医療機関 | 手術支援、リハビリ |
| 小売業 | 在庫管理、配送 |
RaaS(Robot as a Service)
近年注目されているのがRaaS(ロボット・アズ・ア・サービス)モデルです。
従来のロボット導入は「購入」が基本でしたが、RaaSではサブスクリプションでロボットを利用できます。
| 項目 | 従来モデル | RaaS |
|---|---|---|
| 初期費用 | 高い(数千万円〜) | 低い |
| 支払い | 一括購入 | 月額/年額 |
| メンテナンス | 自社負担 | サービスに含む |
| 柔軟性 | 低い | 高い(台数増減可能) |
RaaSにより、中小企業でもロボット導入のハードルが下がります。
バリューチェーン別 利益率の比較
バリューチェーンの各レイヤーで、利益率は大きく異なります。

各レイヤーの利益率
| レイヤー | 粗利益率 | 特徴 |
|---|---|---|
| Brain(頭脳) | 60〜80% | ソフトウェア・ライセンスモデル |
| Body(身体) | 30〜50% | 部品によって差が大きい |
| Integrators(統合) | 15〜30% | ハードウェア製造・組立 |
なぜBrainの利益率が高いのか?
Brainレイヤーが最も高い利益率を誇る理由は以下の通りです:
- 限界費用がほぼゼロ:ソフトウェアは複製コストがかからない
- ネットワーク効果:利用者が増えるほど価値が高まる
- ロックイン効果:一度導入すると乗り換えコストが高い
- 継続収入:ライセンス、サブスクリプションモデル
NVIDIAのソフトウェア事業(Isaac、Omniverse)やGoogleのAIサービスは、この構造を最大限に活用しています。
Bodyレイヤーの利益構造
Bodyレイヤーは部品によって利益率が大きく異なります。
| 部品カテゴリ | 利益率 | 理由 |
|---|---|---|
| 精密減速機 | 高い | 寡占市場、技術障壁 |
| センサー | 中程度 | 競争が激しいが差別化可能 |
| 汎用モーター | 低い | コモディティ化 |
ハーモニックドライブのようなチョークポイントを押さえている企業は、高い利益率を維持できます。
Integratorsの課題
Integratorsレイヤーは最も利益率が低い傾向にあります。
- ハードウェア製造は利益率が低い
- 価格競争が激しい
- 差別化が難しい
ただし、RaaSモデルへの移行により、継続収入を得られるようになれば、利益構造が改善する可能性があります。
注意
フィジカルAI業界では、Brainレイヤーを支配する企業が最も利益を得る構造になっています。NVIDIAやGoogleが高い利益率を維持している一方、ハードウェアメーカーは利益率で苦戦しています。
これは半導体業界でIntelが「Intel Inside」戦略でPCメーカーより高い利益を得ていた構図と似ています。
垂直統合の加速
近年、垂直統合の動きが加速しています。

企業別の統合戦略
Tesla:フルスタック統合
Teslaは、すべてのレイヤーを自社で内製する戦略を取っています。
| レイヤー | Tesla の取り組み |
|---|---|
| Brain | Dojo(自社スパコン)、FSD AI |
| Body | 自社センサー、モーター |
| Integrators | Optimus製造、ギガファクトリー |
メリット:
- 開発スピードが速い
- 全体最適化が可能
- サプライチェーンリスクを低減
デメリット:
- 巨額の投資が必要
- 各分野の専門性で劣る可能性
NVIDIA:Brainに集中
NVIDIAは、Brainレイヤーに特化するプラットフォーム戦略を取っています。
| レイヤー | NVIDIA の取り組み |
|---|---|
| Brain | Isaac、GR00T、Omniverse(✓) |
| Body | Jetson(エッジチップのみ)(△) |
| Integrators | なし(✗) |
自社でロボットを製造せず、すべてのロボットメーカーに技術を提供することで、市場全体から収益を得る戦略です。
Amazon:買収で統合
Amazonは、買収によって垂直統合を進めています。
| 買収企業 | 年 | 目的 |
|---|---|---|
| Kiva Systems | 2012 | 倉庫ロボット |
| Canvas Technology | 2019 | 自律移動ロボット |
| iRobot(交渉中止) | 2024 | 家庭用ロボット |
自社物流の効率化という明確な目的があり、Brain・Body・Integratorsすべてを内製化しつつあります。
統合 vs 分業
業界全体として、完全な垂直統合でも完全な分業でもなく、ハイブリッドが主流になりつつあります。
| 戦略 | 特徴 | 採用企業 |
|---|---|---|
| フルスタック統合 | 全レイヤーを内製 | Tesla |
| プラットフォーム戦略 | Brainに特化、他社に提供 | NVIDIA |
| 買収統合 | M&Aで能力を獲得 | Amazon、Hyundai |
| 選択的統合 | コア領域のみ内製 | 多くの企業 |
価値の源泉:データとAIの循環
バリューチェーンを動かす真の価値の源泉は、データです。

データ循環のサイクル
フィジカルAIでは、以下のサイクルで価値が生まれます:
- ロボットが稼働:センサーデータを収集
- データを蓄積:学習データセット構築
- AIモデルを改善:精度・汎用性向上
- ロボットに展開:性能アップデート
- → 1に戻る
このサイクルが回るほど、AIモデルは賢くなり、ロボットの性能が向上します。
データ優位性の法則
稼働ロボット数 × 時間 = データ優位性この方程式が示すのは、先行者が圧倒的に有利だということです。
| 企業 | 稼働ロボット数 | データ優位性 |
|---|---|---|
| Amazon | 75万台+ | 極めて高い |
| Tesla(EV) | 数百万台 | 極めて高い(自動運転データ) |
| 新規参入者 | 少数 | 低い |
Teslaは、数百万台のEVから収集した走行データを、Optimusの開発に活用できます。これは他社が簡単に追いつけない優位性です。
データの種類
フィジカルAIで価値を持つデータには、以下の種類があります:
| データ種類 | 内容 | 価値 |
|---|---|---|
| 視覚データ | カメラ、LiDAR画像 | 物体認識の改善 |
| 行動データ | ロボットの動作記録 | 行動計画の最適化 |
| 環境データ | 温度、湿度、障害物 | 適応能力の向上 |
| 故障データ | エラー、異常検知 | 予知保全、信頼性向上 |
バリューチェーンの今後
1. Brainの競争激化
NVIDIAの独占に対し、競合が台頭しつつあります。
- Google DeepMind:RT-2など独自モデル
- OpenAI:Figure AIとの提携
- Meta:オープンソースAIモデル
- 中国勢:独自プラットフォーム開発
2. Bodyの標準化
部品の標準化・モジュール化が進むと予測されます。
- 共通インターフェースの策定
- プラグアンドプレイ化
- コスト低下
3. Integratorsの再編
ロボットメーカーのM&A・提携が活発化しています。
- 大手による新興企業の買収
- 自動車メーカーのロボット参入
- 異業種からの参入
まとめ
本記事では、フィジカルAI業界のバリューチェーンを3層構造で解説しました。
ポイント:
- バリューチェーンはBrain(頭脳)・Body(身体)・Integrators(統合)の3層
- Brain:AIソフトウェア、基盤モデル、シミュレーション(NVIDIA、Googleが主導)
- Body:センサー、アクチュエーター、コンピューティング、構造
- Integrators:ロボットメーカー、SI、エンドユーザー(RaaSモデルが台頭)
- 利益率はBrain(60-80%)> Body(30-50%)> Integrators(15-30%)
- 「Brainを制する者が利益を制す」構造
- Tesla、NVIDIA、Amazonが異なる垂直統合戦略を展開
- データの循環が価値の源泉、先行者が圧倒的に有利
次回は「主要プレイヤー徹底解説 - 誰が何を支配しているか」と題して、各企業の戦略と競争力を詳しく分析します。
シリーズ目次
- フィジカルAIとは何か - 次のAI革命の全体像
- サプライチェーンを読み解く - 川上から川下まで
- バリューチェーンの構造 - Brain・Body・Integrators(本記事)
- 主要プレイヤー徹底解説 - 誰が何を支配しているか
- 米国政府の戦略と地政学 - 政策が変える業界地図
- 日本企業とフィジカルAI - チャンスと課題





